生きることは永き夢なり。
書こう書こうと思って、そのままにしていましたが、あかん、もうこれ以上、ほったらかしにしたら、忘れてしまう。(笑)
TBS系だった、と思います。。えっと、、A-Studio という番組名だったと思います。笑福亭鶴瓶さんがMC、IMARUさんがアシスタントやったと思います。毎回ゲストが出てくるのですが、鶴瓶さんはじめ、番組スタッフが徹底的に、そのゲストに内緒で身辺、家族、知人、思い出の場所など、を取材しまくり、本人が呆気にとられるほどの取材力をもって、トーク番組が進行するという企画です。
番組の最後には、そのゲストを送り出し、鶴瓶さんが、観客と視聴者に向けて、そのゲストについての締めのエピソードを簡単に話します。送り出されたゲストは、スタジオの隅で、それをモニターを通して聴いています。個人的には、この番組のもっとも、見せ場が実は、この最後のしめの言葉だったりします。
さて、私の印象に残った鶴瓶さんのことばは、(うろ覚えですが)、フランプールというバンドがゲストで出演した時でした。
こんな風なことを言ってたと思います。私なりの解釈もくわえてますので、そのままの言葉ではありませんが、
僕(鶴瓶さん)は、生きている今というのは、実はとてつもなく、長い夢をみているんやないか、って思います。生きていると、いろんな喜びや悲しみなどがあるけど、それは全部夢として、見させてもらっている。だから、人間は死んで、終わるんやなくって、実はそこから新たな現実が始まるみたいに思えるんです。
みたいな、、こんなことをお話になっていたと思います。だれか正確に覚えている人がいたら教えてほしい。。(笑)
ともあれ、これは、死んだら楽になりまっせ、、とか、死を美化するようなことではありませんので、誤解なきように。
生と死は、あくまでも生物として動いているか、止まっちゃったかみたいな、ことを定義する言葉であるけれども、そこにある「心」や「思い」などは生と死で、存在したり、なくなったりするわけではない、という感じかなぁ、って思います。鶴瓶さんは、「とてつもなく長い夢を見せてもらっている」ことが、生きていることであって、よく言われるけれども、私たちは生かされているっていうことにも通じるのかもしれませんね。そういえば、「夢」って自分ではコントロールできませんよね。毎日がパラダイスのような夢ばかり見たくても、そうはいかないし、かといって、毎日毎日、悪夢を見続けっぱなしっていうことも(普通は)ありませんし、もっといえば何事もなく、夢など見ない日もありますからね。
肉体的な「死」と呼ばれる境を機に、実は、私たちは、コントロールできない長い夢から覚めると考えるとおもしろいですよね。実は、大事な人や後世の人、あるいはこれまで関係のあったすべての事象に対する思いや感謝の思いが、しっかりと遺された人たちに刻まれる。そして、遺された人も、また「死」をむかえるまで、覚めることのない夢を見続ける。
そんなことを考えてしまいました。
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