人が人を信頼すること。
伊東博 著 ニューカウンセリング (誠信書房) より、一部抜粋
初版は1983年、私が今持っているのは第7版、、
1993年に増刷されたもの。
その、308ページに書かれている
信頼実習という項から、すこしばかり引用させて
いただく。
「人が人を信頼するとは、どういうことであろうか。
信頼するということは、愛することと同じように、
もし、あなたが・・・であれば、といった条件が
ついていないこと、つまり無条件なのである。
・・・
略・・・信頼するということは、するものである
というよりは、信頼しているということである。
それはひとつの行動や動作であるというよりは、
状態、つまり心の状態、心身の状態なのである」
さらに、このあと、信頼している、心身の状態を
体感するための実習例が列記されている。
ほんとうに、人が人を信頼しているとき、
あれやこれや、四の五のと、、口出しや手出しは
しないものである。伊東先生も、おっしゃっているのだが、
「俺はお前たちを信頼しているんだ」などと
しゃあしゃあといっちゃう人は、実は、人のことなど
信頼していない場合が多く、いわれたほうも、
その事がよくわかってしまっているものなのだ。
ほんとうに信頼しているなら、
すべてをあなたに任せることができるという。
それは、ヨガの世界では、
全身の力が抜けている状態であり、
禅の世界であれば、
心身脱落という境地だという。
つまりは瞑想の境地、、人を目の前にして
あれやこれや、自分の思い通りに
うごかしてやろう、操ってやろうなどという
邪心で人に接するならば、たちどころに
相手に見抜かれてしまうし、そういう不届きな輩は
けっして、「力が抜けた自然体」のような
境地にはなっていない。むしろ、
人を自分の意のままにしたいという雑念の塊であり、
おかしなところに力がはいっていたり、
やたらと、人にプレッシャーを与えたり、
不安や緊張を煽ることで、相手を追い込むような
ことばかり考える。
これが過度になると、緊張を強いられた相手は
さまざまなストレスにさいなまれ、ひどいときには
自律神経失調のような状態に陥ってしまう。
ほんとうに苦しんでいる方には
まことに失礼な物言いで、あらかじめ
お詫びさせていただきますが、
やはり、このところ、「鬱」について
話題になることが多いが、これもまさに
自律神経がダメージを与えられることで
そのきっかけとなるケースが多いことも
否めない。
本当の信頼関係は
「力をぬいた」状態で、相手にすべてを
ゆだねることができること。。
信頼があればこそ、いや、
信頼なきところに、ホスピタリティは
生まれない。
ここに集まる皆様には
釈迦に説法のようなことで
恐縮だが、
でも、その当たり前のことが
できない、、、ということで
苦しんでいる状況を
よく目の当たりにするのも
事実。。。
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