学問・資格

January 19, 2007

受験生の君たちに、エールだ!





(第32回Podcast配信中)
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皆さーん、ジョークイケブクロのマネージャー犬ベティーです。そして、受験生諸君!いよいよ明日は、センター試験が始まりますね。長い長いレースもさいごの仕上げ段階です。自信があろうとも、不安があろうとも、大丈夫です。皆さんは、今日まで走り続けていたのだから。
たしかに、結果を残すことは大事です。
ただ、それは試験の点数のことだけではないんだよ。試験の点数では、人生の扉を開き続けることは不可能です。
大切なことは、今、一瞬一瞬を感謝すること、今日まで、ご家族や、お友達や、先生たちがあなたがたを守ってくださったことに、真摯な感謝の気持ちで明日の朝を迎えてくださいな。
今日までの健闘を称え、明日からの健闘を祈ってるワン!


で、そうは言ってもね、皆さんが勇気付けられるような
プレゼントも差し上げます。明日のセンター試験をはじめ、
今年、いろんな受験をされるみなさんへ、
さすがにワタシは神社にはいれませんので、ジョークイケブクロにお願いして
ネットお参りできるように写真をとってきてもらいました。
奴の息子さんも今年受験生、だから念がこもってます。
そして効き目がありますよぉ~

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November 12, 2006

二十一世紀に生きる君たちへ
:司馬遼太郎 引用





(第28回Podcast配信中)
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あえて、今の時期だからこそ、昨日、民放のスペシャル番組でも取り上げていた。司馬氏の小学校6年生向けの教科書に掲載された文を全文引用させていただきます。結果的には学校での正式採用はされなかったものの、志ある教諭が特別授業で用いたと放送でも取り上げていました。これは子供のみならず、私たち大人にも、響く文章です。ひとりでも多くの方々に今、読んでもらいたいという思いを押さえられず、あえて全文引用という大儀のもとに掲載させていただきます。

そして、私と同様にこの文章に感銘を受け、私よりもはるか前に「JIROの独断的日記ココログ版」でとりあげていらっしゃった方が 「・・・この場合、法令の遵守よりも、司馬遼太郎氏の訴えたかったことを少しでも多くの人に読んで貰うことの方が、「世のためになる」、と判断したからである。」との思いに共感と勇気を覚え、あえて掲載させていただきます。

『私は歴史小説を書いてきた。

 もともと歴史が好きなのである。両親を愛するようにして、歴史を愛している。歴史とは何でしょう、と聞かれるとき、 「それは、大きな世界です。かつて存在した何億という人生がそこにつめこまれている世界なのです。」と、答えることにしている。私には、幸い、この世にたくさんのすばらしい友人がいる。

 歴史の中にもいる。そこには、この世では求めがたいほどにすばらしい人たちがいて、私の日常を、はげましたり、なぐさめたりしてくれているのである。だから、私は少なくとも2千年以上の時間の中を、生きているようなものだと思っている。この楽しさは、・・・・もし君たちさえそう望むなら・・・・おすそ分けしてあげたいほどである。

 ただ、さびしく思うことがある。私が持っていなくて、君たちだけが持っている大きなものがある。未来というものである。 私の人生は、すでに持ち時間が少ない。例えば、21世紀というものを見ることができないに違いない。

 君たちは、ちがう。
 21世紀をたっぷり見ることができるばかりか、そのかがやかしいにない手でもある。もし「未来」という町角で、私が君たちをよびとめることができたら、どんなにいいだろう。「田中君、ちょっとうかがいますが、あなたが今歩いている21世紀とは、どんな世の中でしょう。」そのように質問して、君たちに教えてもらいたいのだが、ただ残念にも、その「未来」という町角には、私はもういない。だから、君たちと話ができるのは、今のうちだということである。もっとも、私には21世紀のことなど、とても予測できない。ただ、私に言えることがある。それは、歴史から学んだ人間の生き方の基本的なことどもである。

 昔も今も、また未来においても変わらないことがある。そこに空気と水、それに土などという自然があって、人間や他の動植物、さらには微生物にいたるまでが、それに依存しつつ生きているということである。自然こそ不変の価値なのである。なぜならば、人間は空気を吸うことなく生きることができないし、水分をとることがなければ、かわいて死んでしまう。さて、自然という「不変のもの」を基準に置いて、人間のことを考えてみたい。

 人間は・・・・繰り返すようだが・・・・自然によって生かされてきた。古代でも中世でも自然こそ神々であるとした。このことは、少しも誤っていないのである。歴史の中の人々は、自然をおそれ、その力をあがめ、自分たちの上にあるものとして身をつつしんできた。この態度は、近代や現代に入って少しゆらいだ。 ・・・・人間こそ、いちばんえらい存在だ。という、思い上がった考えが頭をもたげた。

 20世紀という現代は、ある意味では、自然へのおそれがうすくなった時代といってもいい。同時に、人間は決しておろかではない。思いあがるということとはおよそ逆のことも、あわせ考えた。つまり、私ども人間とは自然の一部にすぎない、というすなおな考えである。このことは、古代の賢者も考えたし、また19世紀の医学もそのように考えた。ある意味では、平凡な事実にすぎないこのことを、20世紀の科学は、科学の事実として、人々の前にくりひろげてみせた。20世紀末の人間たちは、このことを知ることによって、古代や中世に神をおそれたように、再び自然をおそれるようになった。おそらく、自然に対しいばりかえっていた時代は、21世紀に近づくにつれて、終わっていくにちがいない。

 「人間は自分で生きているのではなく、大きな存在によって生かされている。」と、中世の人々は、ヨーロッパにおいても東洋においても、そのようにへりくだって考えていた。このかんがえは、近代に入ってゆらいだとはいえ、右に述べたように近ごろ再び、人間たちはこのよき思想を取りもどしつつあるように思われる。 この自然へのすなおな態度こそ、21世紀への希望であり、君たちへの期待でもある。

 そういう素直さを君たちが持ち、その気分をひろめてほしいのである。そうなれば、21世紀の人間はよりいっそう自然を尊敬することになるだろう。そして、自然の一部である人間どうしについても、前世紀にもまして尊敬しあうようになるのにちがいない。そのようになることが、君たちへの私の期待でもある。さて、君たち自身のことである。君たちはいつの時代でもそうであったように、自己を確立せねばならない。 ・・・・

 自分に厳しく、相手にはやさしく。 という自己を。そして、すなおでかしこい自己を。21世紀においては、特にそのことが重要である。21世紀にあっては、科学と技術がもっと発達するだろう。科学・技術がこう水のように人間をのみこんでしまってはならない。川の水を正しく流すように、君たちのしっかりした自己が科学と技術を支配し、よい方向に持っていってほしいのである。右において、私は「自己」ということをしきりに言った。自己といっても、自己中心におちいってはならない。

 人間は、助け合って生きているのである。私は、人という文字を見るとき、しばしば感動する。斜めの画がたがいに支え合って、構成されているのである。そのことでも分かるように、人間は、社会をつくって生きている。社会とは、支え合う仕組みということである。原始時代の社会は小さかった。家族を中心とした社会だった。それがしだいに大きな社会になり。今は、国家と世界という社会をつくりたがいに助け合いながら生きているのである。自然物としての人間は、決して孤立して生きられるようにはつくられていない。このため、助けあう、ということが、人間にとって、大きな道徳になっている。

 助け合うという気持ちや行動のもとのもとは、いたわりという感情である。他人の痛みを感じることと言ってもいい。 やさしさと言いかえてもいい。
 「いたわり」
「他人の痛みを感じること」
「やさしさ」
 みな似たようなことばである。この三つの言葉は、もともと一つの根から出ているのである。

 根といっても、本能ではない。だから、私たちは訓練をしてそれを身につけねばならないのである。その訓練とは、簡単なことである。例えば、友達がころぶ。ああ痛かったろうな、と感じる気持ちを、その都度自分中でつくりあげていきさえすればいい。この根っこの感情が、自己の中でしっかり根づいていけば、他民族へのいたわりという気持ちもわき出てくる。鎌倉時代の武士たちは、「たのもしさ」 ということを、たいせつにしてきた。人間は、いつの時代でもたのもしい人格を持たねばならない。

 人間というのは、男女とも、たのもしくない人格にみりょくを感じないのである。もう一度繰り返そう。さきに私は自己を確立せよ、と言った。自分に厳しく、あいてにはやさしく、とも言った。それらを訓練することで、自己が確立されていくのである。そして、“たのもしい君たち”になっていくのである。以上のことは、いつの時代になっても、人間が生きていくうえで、欠かすことができない心構えというものである。君たち。君たちはつねに晴れあがった空のように、たかだかとした心を持たねばならない。同時に、ずっしりとたくましい足どりで、大地をふみしめつつ歩かねばならない。私は、君たちの心の中の最も美しいものを見続けながら、以上のことを書いた。書き終わって、君たちの未来が、真夏の太陽のようにかがやいているように感じた。』

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October 29, 2006

高校未履修問題、大人全てが責任を!





(第28回Podcast配信中)
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29日未明、ジョーク池袋のウクレレ三昧、インターネットライブを開催しました。今回はゲリラ開催でしたが、お客様とのチャットも楽しみながら、あ~だこ~だと、ウクレレ三昧しまくりました。カナダの学生さん、謎のスウェーデンガールと英語や不思議な日本語も飛びまくりました。

さて、今、日本中の高校で問題となっている。科目の未履修事件。政治家の方々は、責任の所在を小さな範囲でなすりあいしていますが、あえていいましょう!言後同断です。我が家も他人事ではありませんでした。すでに高校を卒業し、大学二年の娘の出身校が、その渦中にある一校であることがわかりました。

あえていいましょう。このおかしな現実をつくったのはワタシも含めて、大人全員です。大学卒業者ばかりを優先採用する企業、なにかにつけて学歴がないと世間体がわるいとするような風潮をいったい誰がつくったのでしょう。
そして、本当の勉強は学校のブランドではなく、必要なときに自らがいつでも勉強できる制度をつくらずに、すべて学校に押し付けようとしてきた私たち大人全員の責任です。

社会のしくみの根底がおかしい。成果主義を数値達成であるかのごとく、間違った認識をしている経営者たち、コンサルタントたち、人の成長、心の満足度があってこそ、はじめてよい業績につながることを無視して、チェスの駒のように社員を扱う愚かな企業。金が世の中を動かす全てであるかのごとく風潮を助長したあらゆるメディアのお馬鹿な番組、それをとりまく関係者一堂、、とにかく反省しろ、です。

そして次の世代の若者たち、どうかこの状況に流されないで、自らのちからで自らの道を切り開いてほしい。この問題はこれからも追いかけていきます。

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