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September 18, 2015

右も左も関係なしに!

日本国憲法は聖典にあらず。
私は、今回の安全保障関連法には
賛成の立場だ。
しかし、私は戦争をしたいと
思うわけではないし、
他国を侵略することで、
日本に繁栄をもたらしたいなど
という愚かな考えも
持ち合わせていない。

むしろ、今のこの時代に、
日本という国に、
生かされている自分自身の運命に
感謝しているし、
完璧とはいえなくても、
この社会の仕組みの中で、
平和に健全に暮らしていける
ことを心から喜んでいる。

しかしながら、
私が安倍政権の
今回の法案に賛成だ
と記したとたんに、
これまで、
FACEBOOK上で
何らかのつながりをいただいて
いた方の何名かが、
去っていかれた。

思想、信条が異なれば
それもやむを得ないだろう。
ただ、私は多くの人々と
何ら変わらない、
この国への
思いを持っている。
日本は、
平和国家であってほしいし、
もう2度と戦争をしては
ならないと思っている。

早い話が国会前でデモを
やっている人たちとも
ほとんど同じ思いである。

しかしながら、
日本国憲法は絶対的な聖典で、
一言一句たりとも、
変更してはならないとは
考えていない。
もちろん、今回の法案においては
日本国憲法との整合だったり、
解釈そのものに
矛盾が生じていることも
理解している。

さらにいうならば、
今の日本国憲法下においては
自衛隊が当然違憲である
こともわかっている。

この「日本国憲法」
を聖典のごとく、崇め奉り、
その一言一句も変えては
ならないと大声を
張り上げる人々たちが、
大好きな第9条には
いかなることがあっても、
「武力による威嚇」も
「武力の行使」も
国際紛争を解決する手段として
用いるべきではないとある。

しつこく書くが、
私は右翼でもないし、左翼でもない。
ただ今回の法案には賛成するし
日本国憲法は
「聖典」などとは思っていない。

いや、むしろ日本国憲法すら、
それは「普通の人」が作ったもの
ならば、それは、ルールに基づいて、
不備や言葉足らずなところを顧み
世の中の価値の多様化も配慮して
国民自身が自分自身のために
つねに「憲法の改善」をはかって
いくことこそが健全な国家のあり方だと
信じる。

「憲法学」という学問をきわめて
いらっしゃる学者先生の多くは、
私たちが納めた税金をつかって、
研究活動をなさっている。

国公立私立にかかわらず。
学問は理系であろうが、
文系であろうがすべて、
そこにかかわる社会に
住まう私たちにとって、
有意義な貢献を果たす
ためにある。けっして
個人の研究心を満たす
だけのものではない。

「学問」「アカデミック」
という名のもとに
成果を上げれば、
社会的な地位や資格、
おおくの信頼を得る
ことができる。
それが学問によって、
個人だけではなく
社会にも影響をあたえ
そして歴史にも
その成果がきざまれ、次の世代にも
おおくの遺産をのこしていく。
残念ながら、日本国憲法学者の
方々の多くは、
どうやら、日本国憲法は
一言一句たりとも
いじってはならない
経典、聖典という研究文献
としてしかみていない
ように思われる。

日本の国に住まう、
私たち国民のことを
学問によって本当に、
よい状態に導こう
という気持ちが
少しでもあるならば、
このように矛盾をはらみ、
毎回毎回
政争の具となり、
ときには憲法学者さんまでが
国会や公聴会、
マスコミに出没させられて、
日本国憲法は絶対的なものであって、
これを変えようとする政治家は、
悪魔か独裁者かのごとき
プロパガンダに利用されている。
(ときには、利用されている
ことを知りつつ)
そういう政治家はたたき切れ、
ころせ、やめさせろ
と、シュプレヒコールの
名を借りた怒号、恫喝に
まで、手を染める
先生たちまで現れた。

しつこく書くが、
私はネトウヨでもお花畑でもない。
普通の日本国民だ。
だからこそ、普通に大きく
疑問をもっている。
なぜならば、この法案に
からんで、多くの憲法学者が
あえてふれてこなかった
本当の意味での国民の安全を
どうやって守るのか
ということが、この日本国憲法
には明確な具体的表現が皆無
であるという現実から
目を背けることはできないからだ。

このたびの法案に関して、
国会の参考人質疑や、公聴会で、
どうして、北朝鮮拉致事件被害者
の関係者を招へいしなかったのか?
この国の平和を守るための法案を
審議するのが
今国会の大命題であるならば、
思想、信条、政党などの
違いを大きく超えて、
ほんとうに今まさに
「平和な生活」を侵害され続けている。
この北朝鮮がおこなった犯罪に
目をつむることはできない。
まだ多くの家族が、
被害者の無事な帰国を
待ち望んでいても、
「拉致」されている状態から
「救助」することができないのだ。

では、
憲法学者先生にも、
国会の前で、9条を守れとさけぶ
人達にも、どうか、
思想や信条を超えて真摯にこたえて
ほしい。この拉致被害者と家族を
救うために、
どうすればいいのか?

兵士による直接救助活動は、
日本には許されていない。
警察の特殊部隊を
使えばいいというような安易な
ものではない
(バカな政治家には
そういう考えをする者もいる)

当然のことながら、
自衛隊による救助チームなども
絶対に認められない。
それは、目の前に明らかに
不条理な論理で勝手に
隣国にはいりこみ、そこに住む人を
老若男女かかわらず、
とっつかまえ、船に乗せ、拉致誘拐
してしまわれていて、
相手の国もそうだと認めている。

にもかかわらず、
それを救助に行けないのはなぜか?
憲法の前文に
こう書いてあるから仕方ない。

「平和を愛する諸国民の
公正と信義に信頼して、
われらの安全と生存を
保持しよう・・・」
は?

平和を愛する諸国民とはだれなのか?
あのような犯罪に手を染め、
自国の国益に有利な
交渉材料として拉致被害者を利用している、そんな北朝鮮も
「平和を愛する諸国民」として、
かれらのもっている
公正と信義を信用してやって、
波風を立てずにしておけ、
とでも読み替えなければならないのか。

は?
ありえないだろう!
それでも、日本国憲法は、
国民の安全を守っている
尊い聖典なのか?

今回の法案審議のやりとりでは、
そういう
「憲法」自体がもつ不備について
政治家も憲法学者も、
コメンテーターと
いわれる評論家さんも、
もちろん多くのマスコミも
きちんと取り上げて
いないではないか?

あきらかに平和を
破壊された同じ国民がいても、
その尊大なる憲法は、
何をされても、
日本以外の
「諸国民の公正と信義」
を信じて、おとなしく
だまっていれば、
世界中が平和になると
書いてあるから、これを
一言一句解釈もかえず、
遵守することが
国民の総意であるらしい。

本当にそう思えるのか?
胸を張って言えるような
憲法なのか?

そして何よりも、
拉致被害者家族は何をもって、
この状態への
不満や不信感を解消しろというのか?

彼らが腑に落ちるような
説明をしてあげてほしい。

そして具体的に
日本はどうすればいいか
を導いてほしい。
学者先生、シールズさん、
与野党かかわらず、
すべての政治家の皆さん、
そこのところをどうか真摯に
とりくんで、あなた方の行動を
おこしてほしい。

今はさまざまな危機の中で
日本の国民を守ることについて
きちんとグランドデザインを
私たち自身が意識する
必要があると思う。

深夜に少年少女が徘徊すること
自体も問題ではあるが、
それに牙を
向け、おのれの欲望のために、
殺害遺棄するような事件であっても、
それを起こすのは人間だ。

国益のために他国を侵略する
ような考え方は
日本自身にはなくても、
他国軍やテロリストたちが
何をしでかすかわからない。

今はそういう突発的に
何かが起きるということが
20世紀に比べ圧倒的に
危険度合いが増している
といっていい。

そうだとしても、
私たちは自国以外の
「諸国民」を信じて、
何もするな、ということを
強いる憲法が
「国民を守る」尊い聖典なのか?

ほんとうに大多数の日本国民は
それを納得できているのか?
いやむしろ、北朝鮮拉致事件に
かかわるすべてのことを、
多くの国民は「他人事」
としか思っていないということが
今国会で大きく露呈したのだ。
しかも政治家を筆頭に、
憲法学者も、学生も、
いい年を超えた大人たちも、
不条理に苦しみ、
基本的人権を侵害された
被害者と家族への
心配りすらできていないし、
見て見ぬふりをしている。

あれだけ日本国憲法が
絶対のものであると
わめいていながら、
その第11条、12条、13条に
あからさまに違反している
のではないか。

それは個別の事件だから
関係ない、などと、どこかの
野党の元党首は
屁理屈をいいそうだが、
ほんとうに「日本国憲法」
を思うならば、
この3つの条文を
思い出すがいい。

そして自分たちがいかに
平和な暮らしを享受して
いる一方で、家族を拉致されて安否を
気遣うことすらできないでいる
矛盾をなんとも思わない無関心さを
恥じるべきだ。

ご都合いい時だけ、
9条まもれ、憲法守れ、とさけび、
おのれの考えにそぐわないものは
くそみそバカ死ね
悪魔、非国民、売国奴
などとありったけの
言葉で罵倒し、指をさし、
顔写真を燃やし、
国会議事堂内で、
人にのしかかったり、
どなりあったり、
器物を損壊したり、、
まったく、できのわるい
幼稚園児以下のありさま。

そして私たちは、
その様を、
嬉しそうに中継する各局の
報道番組を見せつけられる。
物事の本質をついた
マスメディアなど
皆無だ。

むしろゲリラ的に
インターネットなどで、
放送配信する
志ある人たちのほうが、
はるかに拉致被害者にも
心遣いをしている。

しつこいようだが、
今回の法案には賛成だ。
しかし、これが可決されたとしても、
日本は決して、
戦争したいとも思わないし、
戦争できる国だと
勘違いすることもない。
それは国際法が許さない。
それこそ諸国民が許さないからだ。

だが、一方で理不尽な
振る舞いをする諸国民までも
その公正や信義を
おもんぱかって、
日本国民はたとえ目の前で
家族がさらわれていても、
武力を行使せず、
威嚇もせず、放棄しろとある。

完璧な憲法などあるわけがない。
国民に危険が及ぼうとするときに、
それが天災人災にかかわらず、
そして他国からの
侵略や破壊テロ行為にかかわらず、
ありとあらゆる危険
に対応するために
どういう具体策をとるべきかを、
国民同士が、
どなりあうのではなく本当に
わが事として、
いっしょに考えては
改善していくという、
当たり前の社会制度を
導くことこそが、
ほんとうの日本国憲法の
役割であり存在意義だろう。

だから、集団的自衛権
のことばかりではなくて、
日本国憲法がはらんでいる、
理不尽さ、法としての不備などを
自分たち力でルールに基づいて、
改善を加えていくことが
ほんとうの心ある平和国家を
めざす人の生きざまのように思う。

残念ながら、そういう意味でも
与野党かかわらず、
政治家代議士先生の
能天気ぶりだけが
目立った国会だった。

やっぱり国民のことを
「命がけで」考えているなど
という言葉が先行するような
低い品性をもっていると、
審議を放り出して、
パフォーマンスに終始し、
およそ、コミュニケーションの
お手本とはいえないような
怒号で人を恫喝し、指をさし、
暴力をふるい、大きな音をさせる。

「自民党は死んだ」と
カメラ目線でメッセージを
向けた山本太郎議員の
行為こそ、
おのれが己を自覚せず、
他者への配慮もしない身勝手な
われ関せずの姿勢をむき出しに
しているとはいえないのか?

あのような議場を
世界中にさらすことが、
あなた方政治家の生きざまか?
そして国会前のデモの画像を
交互にインサートし、
いやぁ、やっぱり強行採決と
いわざるを得ないという
ニュースキャスターの薄っぺらさ、
番組制作者のあまっちょろさ、、
すべては表現の自由として
憲法が守ってくれてはいるが、
結局、基本的人権を
踏みにじられている、まさに今、
そういう
人たちにとっては、
見るに堪えない光景だった。

想像力が欠如した者の
無責任な言動が罪深いことを
私たちはすべて、
自分も含めて
内省し、
なんとか改善しなければ
いけない。
そんな大掃除の時が
来たのかもしれない。

しつこく言うが、
私は決して戦争をしたい人間ではない。
もしどうしても、
戦争に行くことを
強制される状況が
将来あるのなら、
服従しない意思をもって
自害するつもりだ。

自分の大切に思う人たちが、
他国の戦闘員から攻撃を受ける
危機が生じたときは、
なんらかの武器をもって、
その危機を回避
する努力をすると思うが、
万が一、それがやむを得ずであっても、
人の命を殺めたならば、
結果として戦いに
勝とうが負けようが
責任をとって、
自害するつもりだ。

ただ、しつこく言うが、
そういうことは
万が一にも起こってほしくない。
決意はしているし、
それに揺らぎはないが、
基本的には何事もなく、
平和な余生を全うできることを
心から願っているのが
ほんとうのところだ。

私は右翼でも左翼でもない。
平和な日々に感謝していたい。

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